これらのことは、ひとりよがりの礼拝とわざとらしい謙そんと、からだの苦行とをともなうので、知恵のあるしわざらしく見えるが、実は、ほしいままな肉欲を防ぐのに、なんの役にも立つものではない。
からだの訓練は少しは益するところがあるが、信心は、今のいのちと後の世のいのちとが約束されてあるので、万事に益となる。
あなたがたは、わざとらしい謙そんと天使礼拝とにおぼれている人々から、いろいろと悪評されてはならない。彼らは幻を見たことを重んじ、肉の思いによっていたずらに誇るだけで、
あなたがたは、むなしいだましごとの哲学で、人のとりこにされないように、気をつけなさい。それはキリストに従わず、世のもろもろの霊力に従う人間の言伝えに基くものにすぎない。
これらの偽り者どもは、結婚を禁じたり、食物を断つことを命じたりする。しかし食物は、信仰があり真理を認める者が、感謝して受けるようにと、神の造られたものである。
これらは皆、使えば尽きてしまうもの、人間の規定や教によっているものである。
自分自身を憎んだ者は、いまだかつて、ひとりもいない。かえって、キリストが教会になさったようにして、おのれを育て養うのが常である。
あなたがたは、主イエス・キリストを着なさい。肉の欲を満たすことに心を向けてはならない。